日本建築・日本の街を考えていきます。(岩井慎悟)


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町家の目隠し


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京都の町家は、通りに面した2階の窓にスダレを下げていることが多い。
元々、スダレは夏のもので、開け放して風を入れていてもスダレを下げていれば外から中が見えにくいというものです。
しかし、京都の祇園界隈の町家は、冬でもスダレが下がっています。
これは、京都の風俗とも言える光景です。
今でも、祇園界隈を歩くと、舞妓さんや芸妓さんを見かけるように、京都の祇園界隈は、昔から花街として賑わっています。
町家が通りをはさんで向きあって建っている花街は、お互いの家の中が丸見えになるのを嫌い冬でもスダレを下げるようになったのではないかと考えられます。
さて、1階にもそういった視線をもちろん意識しなければなりません。ただ、1階は視線だけでなく、ちん入者の排除ということも考えなくてはいけません。そういったことを考え、昔から1階には格子が使われてきました。
もちろんこういった考え方からすると2階にも格子で構わないわけですが、京都の町家は2階に格子を用いているものは意外に少なく、こういったスダレやその他、目隠しを兼ねた手摺、屋根の上の板塀を建てた町家などがさまざまです。
懐かしさと美しさ、そして親しみやすさや気持ちよさ…現代の我々の感覚と昔の人が花街に抱いていた感覚とは少し違っているかもしれませんが、そんな昔の人の知恵や工夫を感じながら町家が並ぶ通りを歩いてみるのもいいものです。
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by 100nenya | 2005-03-31 21:23 | 日本の家を考える
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鎌倉時代から南北朝時代にかけては、住まいづくりに使われていた工具もあまり変わりなく、鋸(のこぎり…木目に直角に挽く横挽き)、のみ、やりがんな、手斧(ちょうな)、斧など基本的な違いはほとんど見られません。
しかし、それが、15世紀から16世紀によって、設計や工事の技術に飛躍的な発展が可能となりました。
まず15世紀の中ごろに、大鋸(おおが)と呼ばれる縦挽き鋸が現れて、木材の加工、とりわけそれまで貴重品とされていた板材の加工が容易となりました。
板材はそれまで、丸太にのみを打ち込んで割り裂き手斧ややりがんなで削って仕上げていたものが、この大鋸の出現により、天井や壁などに板を豊富に使えるようになりました。
そして、今でも目にする台鉋(カンナ)が出現し、この後、繊細な木割術によって設計された上流階級の住まいの建築には特に不可欠なものとなりました。

今でも新しい工法や技術によって、どんどんと建築の可能性は広がっています。
新しい技術による大空間や全面ガラス張りのような高層ビルなどなど・・・
しかし、その現代の発展は産業的・工業的発展で、急速な技術の発展は人間に謙虚さを忘れさせてしまうものになってしまいます。
技術ももちろん大切ですが、やはり、私たちには技術よりも何が自分に必要なのかを考えたほうが、精神的な開放感は感じられるのかもしれませんね。
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by 100nenya | 2005-03-30 15:13

群としての民家

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民家が一つだけ建つ場合は少なく、多くは群として存在します。
一見個々バラバラに存在しているように見える家も、少し広く眺めれば集落を構成していることに気づきます。
日本の街は、港町には港の周辺に、門前町には寺院・神社の参道沿いに、宿場町には街道沿いにそれぞれ民家が群として存在しています。
妻籠は中山道の宿場町の一つで、街ぐるみで街道沿いの建物の保存を進め、街道に面した建物のファサード(正面の外観)を幕末期の姿を復元し、かつての宿場町の姿を再現しています。
このような街並みは、かつてはどこの街にも見られました。個々の家はその存在を誇示せず、さりげない外観を見せる。しかし、連続させて眺める時、そこにその街の『顔』が出現する。
その『顔』は、住民たちが長い年月をかけ、その地域の風土や習慣の中で試行錯誤を繰り返しながら作り上げたものです。
江戸時代という封建の時代は個々の家が個性を主張することを許されなかったし、作り手である大工が同じものを繰り返し建てた結果そうなったに過ぎないかもしれません。
しかし、単なる偶然の所産と考えるのは正しくありません。
日本人の美意識がそこには反映されていることは間違いなく、当時の大工たちの技術とセンスがもたらしたものであることも忘れてはいけない。

人が集団で生活するとき、おのずとルールを必要とするように、家が群として存在するとき、どのようにあるべきか、長い間、人々は模索し続けてきました。
街並みや集落に現代の私達が見いだす美こそ、住居群のあり方に対する先人が獲得した解答なのかもしれません。
昔の街並み・集落の姿は、都市の住まい・住居群のあり方に対する新たな解答を求められている現代にも、示唆するところが少なくないように思います。

中仙道には、現在も妻籠の他、本山・奈良井・三留野・馬籠といった昔の面影を残す街があります。
3~4m幅の道の両側に、板葺、石置き屋根で格子戸が続く街並みを歩き、江戸の昔をしのびながら自分達の今の生活を再考してみるのもいいと思います。
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by 100nenya | 2005-03-27 12:25 | 日本の街並みを考える