日本建築・日本の街を考えていきます。(岩井慎悟)


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カテゴリ:日本の街並みを考える( 3 )

伏見の街

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伏見と言えば、伏見桃山時代の城下町・幕末の寺田屋騒動、そしてお酒といったものが有名で京都以外の方も知っている人は多いと思います。

その元々城下町としてつくられた伏見の街は、天下人(秀吉)の城下にふさわしく、小細工のない整然たる区画でつくられました。そして、その骨格は今もそのまま続いて残っています。

伏見は、高瀬川や宇治川、淀川といった水路によって各地で結ばれた土地で、物資の移動の道であったと共に旅籠・遊廓が繁盛し、各種の問屋が軒を連ね、非常に繁栄した街です。
しかし、明治になり鉄道が敷設されると、船運はたちまちさびれていきました。
その低迷を救ったのが酒造です。

江戸時代初期には80軒以上あった造酒屋も、明治のはじめにはわずか7軒となっていたそうですが、大正から昭和の初期にかけて造酒量が急増していきました。
ですので、今、伏見の街に建ち並ぶ酒倉は、明治末期から大正・昭和初期のごく短期間の間に建てられたものです。

どれもほとんど同じような造りの酒倉が建ち並んでいる街はとても美しく、そして今の私達には、とても日本を感じる風景なのですが、残念ながらマンション業者の進出により酒倉が破壊され中層マンションに変わっていっています。
マンションが建ち並ぶ風景を見て、ノスタルジーを感じる時代が来るのでしょうか?
守っていきたいですね。
日本の姿、日本の風景、そして日本人の心を。
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by 100nenya | 2005-04-17 00:37 | 日本の街並みを考える
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 宿場町は、街道沿いに長く延びる線的構成の町ですが、城下町は城を中心に広がる平面的な構成の町になっています。
そして日本の都市の多くは、その近世の城下町が基盤になっています。
例えば、政治や行政を行う県庁などの場所は、城跡もしくはその近辺に建っていることが多く、また城下町の多くは町割という都市計画が行われていたので、寺町や塩屋町・鍛冶町・大工町などの地名が残されていたりその情緒や名残が感じられる場所は多く存在します。
 しかし幕末40以上も残っていた天守は、明治維新の際に前時代の無用の長物として次々に取り壊され、また太平洋戦争時にアメリカ軍の空襲により焼失してしまい、現存では12天守となってしまいました。
観光としてだけではなく、街の顔(シンボル・ランドマーク)ともいえる城があるのとないのとでは街の印象が大きく違いますね。
 ただ、萩などお城は残っていなくても城跡を中心に、家臣の屋敷や商人・職人の家が意図的に配置され、塀や道路あるいは用水路が計画的に作られていたということが今でもよくわかる城下町もあります。

 昔、犬山の明治村のキャッチコピーで、『私達が行っても懐かしい』というものがありましたが、現存する城や城下町、また宿場町や港町・門前町など散策すると、その時代を知らない私達でも懐かしく、また現在の都市での生活を考えさせてくれます。
 高層ビルがその街のランドマークになるのもいいかもしれませんが、どこへ行ってもその地域性や風土を感じられない同じような『街の顔』より、地域や風土から微妙に違う昔のような街や街の顔があった方が、私個人としてはおもしろいと思うのですが・・・
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by 100nenya | 2005-04-03 17:53 | 日本の街並みを考える

群としての民家

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民家が一つだけ建つ場合は少なく、多くは群として存在します。
一見個々バラバラに存在しているように見える家も、少し広く眺めれば集落を構成していることに気づきます。
日本の街は、港町には港の周辺に、門前町には寺院・神社の参道沿いに、宿場町には街道沿いにそれぞれ民家が群として存在しています。
妻籠は中山道の宿場町の一つで、街ぐるみで街道沿いの建物の保存を進め、街道に面した建物のファサード(正面の外観)を幕末期の姿を復元し、かつての宿場町の姿を再現しています。
このような街並みは、かつてはどこの街にも見られました。個々の家はその存在を誇示せず、さりげない外観を見せる。しかし、連続させて眺める時、そこにその街の『顔』が出現する。
その『顔』は、住民たちが長い年月をかけ、その地域の風土や習慣の中で試行錯誤を繰り返しながら作り上げたものです。
江戸時代という封建の時代は個々の家が個性を主張することを許されなかったし、作り手である大工が同じものを繰り返し建てた結果そうなったに過ぎないかもしれません。
しかし、単なる偶然の所産と考えるのは正しくありません。
日本人の美意識がそこには反映されていることは間違いなく、当時の大工たちの技術とセンスがもたらしたものであることも忘れてはいけない。

人が集団で生活するとき、おのずとルールを必要とするように、家が群として存在するとき、どのようにあるべきか、長い間、人々は模索し続けてきました。
街並みや集落に現代の私達が見いだす美こそ、住居群のあり方に対する先人が獲得した解答なのかもしれません。
昔の街並み・集落の姿は、都市の住まい・住居群のあり方に対する新たな解答を求められている現代にも、示唆するところが少なくないように思います。

中仙道には、現在も妻籠の他、本山・奈良井・三留野・馬籠といった昔の面影を残す街があります。
3~4m幅の道の両側に、板葺、石置き屋根で格子戸が続く街並みを歩き、江戸の昔をしのびながら自分達の今の生活を再考してみるのもいいと思います。
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by 100nenya | 2005-03-27 12:25 | 日本の街並みを考える