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日本建築・日本の街を考えていきます。(岩井慎悟)


by 100nenya
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『うなぎの寝床』と呼ばれる日本人の住まい

世界遺産に指定された白川郷の合掌(がっしょう)造りなど、農村部では、その地域の風土や用途に合わせたさまざまな民家が作られていった日本人の住まい(家)の形ですが、都市部では、いわゆる『うなぎの寝床』と呼ばれる奥行きのある道にそってぴったりと軒をつらねた町家の形が一般的です。
『うなぎの寝床』と呼ばれる日本人の住まい_c0061400_2275280.jpg

なぜ、このような住まい(家)の形になっていったのでしょうか?
それは、江戸時代に、『公役』と呼ばれる税金が建物の間口(入り口)の幅に応じてかけられたのでこうした町家では間口(入り口)に対して奥行きが長い『うなぎの寝床』と言われる形が多くなったのです。
そう、現代で言うところの節税です。
そして、この税金のシステムを考えた当時の政治家もスゴイ!
今現在、国道沿いの店舗を計画するにしろ、商店街の中の店舗を計画するにしろ、間口が広い方が集客力に優れ、出来る限りそのようにしたいと思うのが一般的です。
そこに目をつけ税金をかけ、都市の秩序を保たせたのには感心します。
もう少し詳しくその『公役』と呼ばれる税金を説明しますと、町地には上・中・下の3ランクがあり、幕府は、公役(くやく)として御用を勤める町料理、砂利、御畳などの人足役を家持から家屋敷の間口(建物の幅)に応じて提供させました。賦課基準は「上」は、間口5間あたり、「中」は、間口7間あたり、「下」は間口10間あたり、それぞれ年間15人に定めていました。
そして後に人足徴発から銀納制に変更され、町奉行所で必要とする人足の賃銭、町役は寺社への初穂料や町奉行以下諸役人への礼銭、橋梁修理費<掃除費などを、公役銀(くやくぎん)を徴収する形となりました。
余裕のある家は、間口を大きく取れましたが、やはり庶民の感覚としては、負担にならないよう税金の少ない間口を小さくとった家の形の中で、日照や風通し、また生活しやすさなど、いろんな工夫をしていったのが、奥行きが長い『うなぎの寝床』の町家です。
そんな風な視点から町家を見てみると、現代の私たちにとっても親しみやすく、また当時の人たちの生活の知恵をより近い感覚で感じられます。
狭小住宅といった今の日本の都市の住宅のヒントもたくさん見つかるかもしれませんね。
by 100nenya | 2005-06-28 22:08 | 日本の家を考える